偽りのまごころ完

 彼女を見つけてから、不可思議な感情が止むことはない。


 彼女の白い肌に目を奪われ、長い睫の揺らめきを数える。


 その度に速くなる鼓動。


 図書館と云う場所が幸い――もとい災いして――、私は彼女の瞳を捕らえた事はない。


 彼女の瞳はいつだって、机に広げられた本に奪われてしまっている。


 流行の恋愛小説。


 彼女の読むジャンルは一貫してる。


 私は虫だの花だの機械だのを見るふりをしながら、心で訊いてみる。


 ――偽りの恋が、一体何を教えてくれると云うの?


 ある日は笑い、ある日は泣いている彼女。


 忙しない表情は、桜ではなくその下でそれを見上げる人間のようでもある。


 そして、彼女の捲る物語のよう。


 嫌いな物はイコールで繋がる。


 でも、彼女は式に当てはまらない。


 正式が機能しない。


 彼女は確かに綺麗だ。

 しかし、だから何だと云うのだ。


 世界は美しい物であふれている。


 彼女でなければいけない理由はない。


 彼女は選択肢のひとつ。


 真実じゃない。


 それなのに、私はどうしても彼女から心を離す事が出来ない。

 

 偽りに注がれる眼差しを、欲してしまう。


 ――私を、見て。


 ヒトゲノムに無数の爪跡を立て、私は彼女を乞うていた。


 季節外れの桜を見つけてひと月、花は突然咲く事を止めた。


 彼女は、図書館に来なくなった。


 私はいつになく狼狽した。

 胸が苦しくなり、目の奥に熱を覚えた。



 小さな図書館を早足で歩き回る日々。


 でも、彼女は何処にもいない。


 何日経っても、会う事は叶わなかった。


 探す事に疲れた私は、彼女の読んでいた本に手を伸ばしてしまった。


 物心ついてから、一度も触れようとはしなかった小説のページを、開いてしまった。


 下らない、馬鹿の恋愛が描かれている物語。



 ――でも、私はシンクロしてしまった。



 嘘であると解りきった物語に、感動を覚えた。


 主人公の心が、痛い位に伝わってきたのだ。




 ――私は――



 読み終えて俯くと、何かが落ちた。




 ――涙だ。



 どうして、私は泣いているのだろう。


 嘘つきは嫌いなのに。

 私はまんまと騙されたのか。

 私も嘘つきのひとりになるのか。





 ――違う。


 嘘が嫌いなら、この心を否定してはならない。


 私は知っている。

 主人公の感情を、胸の痛みを。


 虚構の世界に、知らない心の名前があった。

 


 夏の桜、偽物の花。


 私も既に、人だった。





 ――貴方が、好きでした。




 偽りの言葉を借り、私はひとり、まごころを告げた。




 end